Raphaウェアの「温故知新」
2009年 09月 26日
昨日,Raphaに注文していたウェアが届きました,ロンドンから。
注文してからちょうど1週間でした。早いですねえ。
先日大阪であった展示会でサイズを確認してはいたのですが,ボクの場合,
「サイズM」でピッタリでした。もう少し上背がある方でも「M」かなあ。
(参考)ボクは173cm,65kg,肩幅広め,腕長め。ふだんはタイト目のウェアが好みです。
感心したのは,思っていた以上にどのアイテムも「温故知新」だったこと。
「知新」というのは,現代の自転車ウェアらしく,さまざまな素材の組み合わせや
ライディング時の自転車乗りの挙動を周到に計算したカッティングやフィッティングに
よって,耐候性,耐久性,快適性といった項目の面で優れている(だろう)ということ。
まだ実地に着て走っていませんので,確実なことは言えませが,ジレ(ヴェスト),
ウィンドブレーカー(Stowaway Jacket),アームウォーマーのどれにも
いくつかの素材に切り替えによる肌触りの向上や温度調節への配慮が十二分に
うかがえます。
いかにも「乗っている人が考えた」ウェアですね,これは。
*これはアームウォーマーですが,肩口に付いたピンクのゴムを引き絞れば
ズレ防止になります。内側にも滑り止めの素材が。よ〜く分かってんなあ(笑)
「温故」というのは,たとえば,ジレの背中の部分にプリントしてあった下のような一文。
これにはやられた(笑)
一見洗濯などの取り扱いの注意書きのように見えますが,ちがいます。
左側は「ミディアム」「100%ポリエステル」なんて,事務的な文言ですが。
その右にはこんな一文が...
最高のクライマーは往々にして最悪のダウンヒラーである。下りでレースに敗れることも
少なくない。ルイス・オカーナは最高のダウンヒラーの一人だが,その彼でさえ
1971年のツールの下りで,エディ・メルクスを破る唯一のチャンスを逃した。
レースがピレネーにさしかかった時,メルクスはアタックを仕掛けた。オカーナに対して
全力でタイム差をつめるためだ。トップ二人がマント峠を越える頃,天候は一転ただの
悪天候から最悪の状況となった。ひょうや雨が選手たちに襲いかかった。
たまらずトップの二人も落車。メルクスが復帰する間に,崩れ落ちたオカーナに
まずズートメルクが衝突。続いてアゴスチーニョとロペス・カリルが。
メルクスは畏敬の印として,マイヨ・ジョーヌの着用を拒んだのだった。
う〜ん,講談ですやん,これ。
恥ずかしながら,ボクはルイス・オカーナという選手のことは,まったく知りません
でした。さっそく手元にあるレキップ社の'Tour de France 100 ans'を開いてみると,
ありゃりゃ。
エディ・メルクスの全盛期に,唯一『ツール』でメルクスを打ち負かしてマイヨ・ジョーヌを
着た選手です。メルクスは1969年から74年までの間に5勝しているのですが,オカーナは
73年にメルクスを下して総合優勝している。
当時「人喰い」とまで呼ばれ,無敵を誇ったメルクスを打ち負かすということが,どれほど
至難なことかを考えると,いやはやすごい選手ですよ。きっと,その頃のスペインでは
間違いなく「英雄」だったのでしょうね。
1973年と言えば,ボクは中学生で,まさにメルクスが乗るモルテーニカラーの
ロードレーサーこそが「神!」と思っていました(笑)
もうそれこそ毎日穴のあくほど『サイスポ』掲載のメルクスの自転車を見ていました。
それがウーゴ・デ・ローザの手になるものだと知ってからは,デ・ローザに憧れました。
ただ,今のように詳細なヨーロッパの情報など伝えてくれるメディアはありません。
ましてや厨房のところまではねえ(笑)
Wikiによれば,その後77年にオカーナは引退し,1994年に経済的な問題から自殺して
います。
だから,ボクが2003年に『ツール』の100周年パレードを見て,おおっズートメルクや!
メルクスや!と興奮していたときにも,オカーナの姿はなかったのですね。
というわけで,ボクはいたくRaphaの作り手たちに「同世代」を感じてしまったのでした。
もちろん,彼らの方が,長くずっと以前から目と鼻の先でヨーロッパのロードレースシーンを
見聞きしてきているし,そこで活躍したスターたちのことも詳しいわけですが。
そんな彼らが込めたメッセージを,いま極東の「元自転車少年」がしみじみ読んでいるのも
面白いですねえ。異床同夢ってのかな?(笑)
(訂正)
上でボクは「オカーナは73年にメルクスを下して総合優勝している」と
書いたのですが,これは誤りでした。この年メルクスは出場していないとの
ご指摘をいただきました。naranjaさん,ありがとうございます!
そっか,文字通り「鬼のいぬ間の」勝利だったのですね。
だから,Raphaのジレには「1971年のツールの下りで,エディ・メルクスを
破る唯一のチャンスを逃した」という表現になっていたのですね。
73年はメルクスを破って勝ったわけじゃないのですから。
ところで,なぜこの年メルクスが欠場したのかは,'Tour de France 100 ans'の
1973年の項を流し読みしただけでは不明でした。なんででしょう?
と言っても,この年のメルクスの戦績を見れば,「もうええでしょう。ツールまで
勝たんでも」と,ライバル選手でなくても言いたくなりますが(笑)
↓ これですもん。人間業じゃないよねえ。
*1973年のメルクスの主な戦績*
ジロ・デ・イタリア優勝
ブエルタ・ア・エスパーニャ優勝
パリ〜ルーベ優勝(3回目)
リエージュ〜バストーニュ〜リエージュ優勝(4回目)etc.
注文してからちょうど1週間でした。早いですねえ。
先日大阪であった展示会でサイズを確認してはいたのですが,ボクの場合,
「サイズM」でピッタリでした。もう少し上背がある方でも「M」かなあ。
(参考)ボクは173cm,65kg,肩幅広め,腕長め。ふだんはタイト目のウェアが好みです。
感心したのは,思っていた以上にどのアイテムも「温故知新」だったこと。
「知新」というのは,現代の自転車ウェアらしく,さまざまな素材の組み合わせや
ライディング時の自転車乗りの挙動を周到に計算したカッティングやフィッティングに
よって,耐候性,耐久性,快適性といった項目の面で優れている(だろう)ということ。
まだ実地に着て走っていませんので,確実なことは言えませが,ジレ(ヴェスト),
ウィンドブレーカー(Stowaway Jacket),アームウォーマーのどれにも
いくつかの素材に切り替えによる肌触りの向上や温度調節への配慮が十二分に
うかがえます。
いかにも「乗っている人が考えた」ウェアですね,これは。
*これはアームウォーマーですが,肩口に付いたピンクのゴムを引き絞れば
ズレ防止になります。内側にも滑り止めの素材が。よ〜く分かってんなあ(笑)
「温故」というのは,たとえば,ジレの背中の部分にプリントしてあった下のような一文。
これにはやられた(笑)
一見洗濯などの取り扱いの注意書きのように見えますが,ちがいます。
左側は「ミディアム」「100%ポリエステル」なんて,事務的な文言ですが。
その右にはこんな一文が...
最高のクライマーは往々にして最悪のダウンヒラーである。下りでレースに敗れることも
少なくない。ルイス・オカーナは最高のダウンヒラーの一人だが,その彼でさえ
1971年のツールの下りで,エディ・メルクスを破る唯一のチャンスを逃した。
レースがピレネーにさしかかった時,メルクスはアタックを仕掛けた。オカーナに対して
全力でタイム差をつめるためだ。トップ二人がマント峠を越える頃,天候は一転ただの
悪天候から最悪の状況となった。ひょうや雨が選手たちに襲いかかった。
たまらずトップの二人も落車。メルクスが復帰する間に,崩れ落ちたオカーナに
まずズートメルクが衝突。続いてアゴスチーニョとロペス・カリルが。
メルクスは畏敬の印として,マイヨ・ジョーヌの着用を拒んだのだった。
う〜ん,講談ですやん,これ。
恥ずかしながら,ボクはルイス・オカーナという選手のことは,まったく知りません
でした。さっそく手元にあるレキップ社の'Tour de France 100 ans'を開いてみると,
ありゃりゃ。
エディ・メルクスの全盛期に,唯一『ツール』でメルクスを打ち負かしてマイヨ・ジョーヌを
着た選手です。メルクスは1969年から74年までの間に5勝しているのですが,オカーナは
73年にメルクスを下して総合優勝している。
当時「人喰い」とまで呼ばれ,無敵を誇ったメルクスを打ち負かすということが,どれほど
至難なことかを考えると,いやはやすごい選手ですよ。きっと,その頃のスペインでは
間違いなく「英雄」だったのでしょうね。
1973年と言えば,ボクは中学生で,まさにメルクスが乗るモルテーニカラーの
ロードレーサーこそが「神!」と思っていました(笑)
もうそれこそ毎日穴のあくほど『サイスポ』掲載のメルクスの自転車を見ていました。
それがウーゴ・デ・ローザの手になるものだと知ってからは,デ・ローザに憧れました。
ただ,今のように詳細なヨーロッパの情報など伝えてくれるメディアはありません。
ましてや厨房のところまではねえ(笑)
Wikiによれば,その後77年にオカーナは引退し,1994年に経済的な問題から自殺して
います。
だから,ボクが2003年に『ツール』の100周年パレードを見て,おおっズートメルクや!
メルクスや!と興奮していたときにも,オカーナの姿はなかったのですね。
というわけで,ボクはいたくRaphaの作り手たちに「同世代」を感じてしまったのでした。
もちろん,彼らの方が,長くずっと以前から目と鼻の先でヨーロッパのロードレースシーンを
見聞きしてきているし,そこで活躍したスターたちのことも詳しいわけですが。
そんな彼らが込めたメッセージを,いま極東の「元自転車少年」がしみじみ読んでいるのも
面白いですねえ。異床同夢ってのかな?(笑)
(訂正)
上でボクは「オカーナは73年にメルクスを下して総合優勝している」と
書いたのですが,これは誤りでした。この年メルクスは出場していないとの
ご指摘をいただきました。naranjaさん,ありがとうございます!
そっか,文字通り「鬼のいぬ間の」勝利だったのですね。
だから,Raphaのジレには「1971年のツールの下りで,エディ・メルクスを
破る唯一のチャンスを逃した」という表現になっていたのですね。
73年はメルクスを破って勝ったわけじゃないのですから。
ところで,なぜこの年メルクスが欠場したのかは,'Tour de France 100 ans'の
1973年の項を流し読みしただけでは不明でした。なんででしょう?
と言っても,この年のメルクスの戦績を見れば,「もうええでしょう。ツールまで
勝たんでも」と,ライバル選手でなくても言いたくなりますが(笑)
↓ これですもん。人間業じゃないよねえ。
*1973年のメルクスの主な戦績*
ジロ・デ・イタリア優勝
ブエルタ・ア・エスパーニャ優勝
パリ〜ルーベ優勝(3回目)
リエージュ〜バストーニュ〜リエージュ優勝(4回目)etc.
かえって追記、お手数をおかけしてすみません。
でも謎ですね!73年のメルクスのツール欠場理由、なかなか出てきません。
答えは自伝に???
「ツールドフランス100年」羨ましい限りです。
去年、本屋で私もたぶん手にして、あまりの重さに断念した1冊では?と思います。
郵便局を利用していれば(笑)来年夏チャレンジしたいものです。
でも謎ですね!73年のメルクスのツール欠場理由、なかなか出てきません。
答えは自伝に???
「ツールドフランス100年」羨ましい限りです。
去年、本屋で私もたぶん手にして、あまりの重さに断念した1冊では?と思います。
郵便局を利用していれば(笑)来年夏チャレンジしたいものです。
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ペダル
at 2009-09-26 23:28
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naranjaさん,なるほど!自伝ですよね。探してみます。
鶴百年,重かったです。これは送らずに手荷物で持ち帰りましたから。
なかなか読めませんが,老後の楽しみにと。
あっ,もう半分老後か...(笑)
鶴百年,重かったです。これは送らずに手荷物で持ち帰りましたから。
なかなか読めませんが,老後の楽しみにと。
あっ,もう半分老後か...(笑)
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みっちょむ
at 2009-09-26 23:54
x
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ペダル
at 2009-09-27 08:21
x
Commented
by
おれんじおるか
at 2009-09-27 09:21
x
raphaかっこいいですね。
先日の鈴鹿エンデューロでassosのエアブロックタイツがなんと1万円ぽっきりで投売りされてたんで思わず衝動買いしてしまいました。
なので、僕はぼちぼちassos買い集めることになりそうです。
先日の鈴鹿エンデューロでassosのエアブロックタイツがなんと1万円ぽっきりで投売りされてたんで思わず衝動買いしてしまいました。
なので、僕はぼちぼちassos買い集めることになりそうです。
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ペダル
at 2009-09-27 22:17
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おれんじおるかさん,今日は2人のRaphaユーザーと走ってきました。
実際に走っている姿もカッコよかったですよ。
おおおっ!あのタイツが1万円ぽっきりとは!
おるかさんは何着てもカッコいいですからね。そのうちRaphaも試してみて下さい。
実際に走っている姿もカッコよかったですよ。
おおおっ!あのタイツが1万円ぽっきりとは!
おるかさんは何着てもカッコいいですからね。そのうちRaphaも試してみて下さい。
by pedalweb
| 2009-09-26 00:21
| ツーリング/ポタリング
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Comments(6)