こんなときこそ生きるシンプルさが問われている
2011年 03月 18日
昨日は昼過ぎから久しぶりに六甲山に登りました。最低気温は−2℃。尾根筋はうっすらと積雪。
神戸の市街地を抜けるときには淡雪がちらほらと舞い始め,再度山から登って,標高が400mを
越えるあたりからけっこうな吹き降り。
まあ行けるところまで行ってみようと,東に向かって記念碑台を越えてガーデンテラスまで
登ってはみたものの,手足がかじかんで強烈に体が冷えてきたので,東六甲から下るのは断念。
一番温かそうな表六甲ドライブウェイから下ったのですが,ケーブル駅までの間,
勝手にアゴがカタカタと鳴っていました(笑)
自転車も,まるでシクロクロスの泥レースを走った後みたいな状態に。
*記念碑台から六甲山小学校への道。この後トラックが立ち往生して,地元の方が雪かきを
されていました。もうクルマも冬装備を解除していたのでしょう。わずか3cmほどの積雪です。
今月に入って,あまり自転車には乗れていません。
指の手術で入院したり,風邪と喘息のダブルパンチをくらったり,病院で過ごす時間が予定外に
増えてしまったのが原因。
2月の乗車時間・距離が自分なりの目標の3分の2にとどまったので,3月こそは!と思っていたの
ですが。今のところ去年比で40%程度の乗り込み。
おりしも今年最初のレースのはずだった「伊吹山ヒルクライム」が中止になって,気が抜けて
モチベーションがいくらか下がっています。アカンなあ,こんなんじゃあ! >自分。
いまのところ決行となっている「ツール・ド・八ヶ岳」まではちょうど1ヶ月ですが,
意識や気持ちをシンプルにしておかないと,震災を口実に,このままダラダラと過ごしてしまい
そうです。
被災地じゃない場所でこれまでと変わらない生活が出来てるからこそ,震災を口実にしないで,
今の自分がたまたま与えられている「恵まれた豊かさ」をどう活用するかをはっきりと意識して
おかなきゃ。
自分で自分をコントロールできないのに,他人を助けることなんて出来るはずありませんから。
ところで,地震発生以降,甚大な被害や悲惨な被災状況の報告とともに,ネット上には「被災者のために
役立ちたい」という強い気持ちやその表現をたくさん見ることができて,とても温かな気持ちになります。
とくに,中高年よりも若い人たちからの善意のアイデアやアクションが多い。
*ちょうど1年前,温暖だった六甲山。今年こそ春の訪れを待ちわびる人が多いのに。
これは(ボクが身近で見聞きする限りでは)不急不要の物資を買いだめしている人たちが
比較的中高年の層に多いのとは対照的です。
そして,このコントラストは,ネット上の善意の発信者の多くが若い人たちである理由が
必ずしもネットワーク・リテラシー(IT面での習熟度)の深浅だけではないということを
鮮やかに示す証左じゃないかと思います。
つまり,こんな非常時にこそ,「誰がいったい本当に国民の中の主役なのか」がはっきりするんですね。
それは,ふだんしたり顔で道徳やモラルを説く中高年ではなくて(もちろん,素晴らしいオトナも
多いのは言うまでもないのですが),とかく年長者が望む社会の規格から外れていたり
顔をしかめられたりする,「最近の若いもん」なのです。
これに関連したことを,ボクは2年前に書いたことがあって,今読み返すと,あらためて今の震災後の
状況の中で,もっと意識していいことだと思いました。
もっともっと,日本の若い人を信頼してバックアップして,活躍してもらえる環境を作らなきゃ。
長いので,少し枝葉を落として引用してみます。
2008年7月に「Teamまんま」で,当時マトリックス在籍の辻貴光・善光のおふたりによる
講習がありました。そのときの辻兄弟の人柄と指導に感銘を受けて書いたエントリーです。
『日本の若い人のこと』
昨日のエントリー(2008年7月13日)を書いていて,あらためて思いました。
頑張ってる若い人の姿を見るのはいいなあと。ちょっと「おっさんくさい」物言いですが(笑)
さとなおさんが,先週の彼のブログのエントリーのひとつ「『日本人』という財産」で海外での日本人の
評判の良さにふれて「日本人,それ自体が財産なのだ」という趣旨のことを書かれてましたが,
これって,若い日本人と日々接していても,まったく評価は変わりません。
むしろ,ボクらのような40才以上のオトナよりも,そういう良い評価を受けやすいのじゃないかなあ,
彼ら若い人は。ボクはそう思います。
以前,大学時代のクラブの先輩でユネスコの仕事をされている女性が,「世界中どこの現場でも
日本の若い人への需要は高い。真面目で勤勉で,熱心だから。あとは言葉さえできれば,どこでも
通用する」という趣旨のことを話されていましたが,これには毎日若い人と接しているボクも
まったく同感です。
もちろん,毎日100人以上の若い人と接していれば,腹の立つ奴もいますよ(笑)
でも,彼や彼女の礼儀知らずや周囲への配慮のなさや無気力さが手の打ちようのないものだった
ためしはほとんどありません。
たいていは,不幸な環境や足りない教育の結果,狭すぎる視野からそうなっているだけ。
気がつけばボクももう20年ほど今の仕事をしていますが,若い人に何かを教えて伝わらないことが
あるとしたら,ほぼ99%はこちらの(オトナのサイドの)努力不足だというのが実感です。
「見かけや今の行動で若い人の将来の可能性を判断してはいけない」
「学びたい,伸びたいという気持ちを持ってない若い人はいない」
そもそも人間の器が小さい自分の精神衛生のためにも,若い人を相手にするとき,
ボクはこの2つを心がまえの原則にしています。
オトナがその場の怒りに身を任せて愛情をなくしてしまったら,何も生まれないんですよね。
若い頃にもガマンは大事です。でも,オトナにはもっと大事ですから(笑)
でも,そうやってオトナがガマンして,じっくり育ててやると,見返りは大きいです。
そんなわけで,オトナには若い人と接するときの心構えが必要です。
でも,それがあれば,オトナにしか味わえない「育てる喜び」や「収穫の喜び」があります。
しかも,どういう文化の積み重ねが原因か分かりませんが,日本はとても「収穫」に恵まれた土地だ
というのが,世界中に広くゆきわたっている評価なんですね。
* * *
そして今は,そんな「日本の財産」でもある若い人のシンプルさ(それには上で書いているように,
荒削りな欠点も多いんだけど)にオトナが学ぶべき点はすごく多いなと痛感しています。
こんなときだからこそ,何が大事で何がそうでないか,それを忘れずに若者のように
シンプルに生きたいものです。
神戸の市街地を抜けるときには淡雪がちらほらと舞い始め,再度山から登って,標高が400mを
越えるあたりからけっこうな吹き降り。
まあ行けるところまで行ってみようと,東に向かって記念碑台を越えてガーデンテラスまで
登ってはみたものの,手足がかじかんで強烈に体が冷えてきたので,東六甲から下るのは断念。
一番温かそうな表六甲ドライブウェイから下ったのですが,ケーブル駅までの間,
勝手にアゴがカタカタと鳴っていました(笑)
自転車も,まるでシクロクロスの泥レースを走った後みたいな状態に。
*記念碑台から六甲山小学校への道。この後トラックが立ち往生して,地元の方が雪かきを
されていました。もうクルマも冬装備を解除していたのでしょう。わずか3cmほどの積雪です。
今月に入って,あまり自転車には乗れていません。
指の手術で入院したり,風邪と喘息のダブルパンチをくらったり,病院で過ごす時間が予定外に
増えてしまったのが原因。
2月の乗車時間・距離が自分なりの目標の3分の2にとどまったので,3月こそは!と思っていたの
ですが。今のところ去年比で40%程度の乗り込み。
おりしも今年最初のレースのはずだった「伊吹山ヒルクライム」が中止になって,気が抜けて
モチベーションがいくらか下がっています。アカンなあ,こんなんじゃあ! >自分。
いまのところ決行となっている「ツール・ド・八ヶ岳」まではちょうど1ヶ月ですが,
意識や気持ちをシンプルにしておかないと,震災を口実に,このままダラダラと過ごしてしまい
そうです。
被災地じゃない場所でこれまでと変わらない生活が出来てるからこそ,震災を口実にしないで,
今の自分がたまたま与えられている「恵まれた豊かさ」をどう活用するかをはっきりと意識して
おかなきゃ。
自分で自分をコントロールできないのに,他人を助けることなんて出来るはずありませんから。
ところで,地震発生以降,甚大な被害や悲惨な被災状況の報告とともに,ネット上には「被災者のために
役立ちたい」という強い気持ちやその表現をたくさん見ることができて,とても温かな気持ちになります。
とくに,中高年よりも若い人たちからの善意のアイデアやアクションが多い。
*ちょうど1年前,温暖だった六甲山。今年こそ春の訪れを待ちわびる人が多いのに。
これは(ボクが身近で見聞きする限りでは)不急不要の物資を買いだめしている人たちが
比較的中高年の層に多いのとは対照的です。
そして,このコントラストは,ネット上の善意の発信者の多くが若い人たちである理由が
必ずしもネットワーク・リテラシー(IT面での習熟度)の深浅だけではないということを
鮮やかに示す証左じゃないかと思います。
つまり,こんな非常時にこそ,「誰がいったい本当に国民の中の主役なのか」がはっきりするんですね。
それは,ふだんしたり顔で道徳やモラルを説く中高年ではなくて(もちろん,素晴らしいオトナも
多いのは言うまでもないのですが),とかく年長者が望む社会の規格から外れていたり
顔をしかめられたりする,「最近の若いもん」なのです。
これに関連したことを,ボクは2年前に書いたことがあって,今読み返すと,あらためて今の震災後の
状況の中で,もっと意識していいことだと思いました。
もっともっと,日本の若い人を信頼してバックアップして,活躍してもらえる環境を作らなきゃ。
長いので,少し枝葉を落として引用してみます。
2008年7月に「Teamまんま」で,当時マトリックス在籍の辻貴光・善光のおふたりによる
講習がありました。そのときの辻兄弟の人柄と指導に感銘を受けて書いたエントリーです。
『日本の若い人のこと』
昨日のエントリー(2008年7月13日)を書いていて,あらためて思いました。
頑張ってる若い人の姿を見るのはいいなあと。ちょっと「おっさんくさい」物言いですが(笑)
さとなおさんが,先週の彼のブログのエントリーのひとつ「『日本人』という財産」で海外での日本人の
評判の良さにふれて「日本人,それ自体が財産なのだ」という趣旨のことを書かれてましたが,
これって,若い日本人と日々接していても,まったく評価は変わりません。
むしろ,ボクらのような40才以上のオトナよりも,そういう良い評価を受けやすいのじゃないかなあ,
彼ら若い人は。ボクはそう思います。
以前,大学時代のクラブの先輩でユネスコの仕事をされている女性が,「世界中どこの現場でも
日本の若い人への需要は高い。真面目で勤勉で,熱心だから。あとは言葉さえできれば,どこでも
通用する」という趣旨のことを話されていましたが,これには毎日若い人と接しているボクも
まったく同感です。
もちろん,毎日100人以上の若い人と接していれば,腹の立つ奴もいますよ(笑)
でも,彼や彼女の礼儀知らずや周囲への配慮のなさや無気力さが手の打ちようのないものだった
ためしはほとんどありません。
たいていは,不幸な環境や足りない教育の結果,狭すぎる視野からそうなっているだけ。
気がつけばボクももう20年ほど今の仕事をしていますが,若い人に何かを教えて伝わらないことが
あるとしたら,ほぼ99%はこちらの(オトナのサイドの)努力不足だというのが実感です。
「見かけや今の行動で若い人の将来の可能性を判断してはいけない」
「学びたい,伸びたいという気持ちを持ってない若い人はいない」
そもそも人間の器が小さい自分の精神衛生のためにも,若い人を相手にするとき,
ボクはこの2つを心がまえの原則にしています。
オトナがその場の怒りに身を任せて愛情をなくしてしまったら,何も生まれないんですよね。
若い頃にもガマンは大事です。でも,オトナにはもっと大事ですから(笑)
でも,そうやってオトナがガマンして,じっくり育ててやると,見返りは大きいです。
そんなわけで,オトナには若い人と接するときの心構えが必要です。
でも,それがあれば,オトナにしか味わえない「育てる喜び」や「収穫の喜び」があります。
しかも,どういう文化の積み重ねが原因か分かりませんが,日本はとても「収穫」に恵まれた土地だ
というのが,世界中に広くゆきわたっている評価なんですね。
* * *
そして今は,そんな「日本の財産」でもある若い人のシンプルさ(それには上で書いているように,
荒削りな欠点も多いんだけど)にオトナが学ぶべき点はすごく多いなと痛感しています。
こんなときだからこそ,何が大事で何がそうでないか,それを忘れずに若者のように
シンプルに生きたいものです。
by pedalweb
| 2011-03-18 13:28
| 考えるヒント
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