ボクのロールモデル
2016年 07月 11日
あなたにはこうなりたいというお手本ってありますか?
いわゆる「ロールモデル」的な人や憧れの対象が。
ボクにはあまり世俗的な成功や出世のよすが(頼り)となるような存在がなくて,自分の心に正直に言えば,
まず思い浮かべるのはフランスの女優ジャンヌ・モロー。
いや,冗談ではなくて本気でそう思うわけで。
若くてして国立のアカデミーを経て舞台女優となり,やがて当時の恋人ルイ・マルの出世作『死刑台の
エレベーター』で脚光を浴び,ヌーベルバーグの流れの中で名声を確立。
老いても自ら監督のメガフォンをとり,無名の新人監督の作品にも台本を評価して出演etc.
はかないけれど理路の通った美しい時間への彼女の愛着と情熱は,人生の袋小路やよどみで迷うときの
ボクの数少ないお手本であり導きのコンパスです。
もちろん,ボクも若い頃はそんな長いスパンでの彼女の魅力はろくに知ることもなく,ただ,彼女独特の
アンニュイな,いかにも「フランスの女優」然とした容貌や立ち振る舞いに憧れていただけでした。
どうすれば,あの静かな情熱とたしかな知性と変化を恐れぬ勇気を持ち続けられて,しかもそれを
フランス映画らしい「ニュアンス」の表現にまで昇華して映像にとどめられるのか?
年をとるにつれ,ボクよりも30才年上のこの女性の価値観や生き方がますます自分にとって大事な
ものに思えてくるのでした。
ボクにとって,真のロールモデルとは,ある夜どこかのバールやレストランで落ち合い,語り合い,その人生の
光も影も春も冬も夏もすみずみまで語り聞かせてもらいたいと思う存在です。
いつか,本当にそんな時間が持てたら素晴らしい。
かつてボクはミラノ郊外でウーゴ・デローザ御大を目の前にして(みずからオフィスの扉を開けてもらって)
まともなことを何も言えなくて,緊張のあまり震えながら握手をしてもらったことがありますが,そんな失敗を
もうしないようにフランス語の力量を磨いてから,ジャンヌに会うんだ(笑)
もちろんボクは映像の虚構の中での彼女しか知りません。
けれど,長い間接していれば,自分の親の人生だって,「かつて子どもだった自分の視点」からだけでなく
「いまや別の人生を生きる別の大人」として,ある程度は内からの真実を見極められるものです。
白人の女性らしく,いまやシワとたるみの塊と化した88才の彼女の姿は,それでもボクには尊いもので
愛おしさを感じます。虚構の映像の中の姿以上に現実の彼女の中に輝きを見ています。
ボクには女性を過剰に美化する悪いクセがあって,それがごくたまにボクの人生をあらぬ方向へ,
コントロールを失った砲丸よろしく失投させてしまう傾向があります。
つたない自己分析では,これって半分くらいは相手の中に自分のロールモデルを見てしまっているから。
つまり,ボクはどこかでいつも「凛とした女性」になりたいと思っているのですね(笑)
そんな自己分析が正しいかどうかはともかく(笑)
できればジャンヌのように生きていきたいものです。
その孤独もよろこびも愛も悲しみもすべてひっくるめて。
もしもある日パリのひとり旅で買い物に入った『ボンマルシェ』でジャンヌに出会ったあら,何と言って声を
かければいいかなあ?(そもそも声をかけないのがパリ風だけど)
ボンソワール,マダム... 長年あなたのファンでした。映画への多大な貢献を尊敬します...
いやいや,ダメだ。
もっと直裁に口説かなければ(笑)
全身全霊でボクはあなたになりたいんです!と伝えなければ。
でも,きっとただ「メルシー,ムッシュー」とだけ微笑みとともに返ってくるのだろうけど,ボクは陶然として
見送るのだろうなあ。
考えてみれば,人生ってそういう一瞬のための長い長いリハーサル。
憎しみや妬みや悔悛ではなく,出会えたよろこびを伝えるために生きていたいなあ。
そう思いません?
いわゆる「ロールモデル」的な人や憧れの対象が。
ボクにはあまり世俗的な成功や出世のよすが(頼り)となるような存在がなくて,自分の心に正直に言えば,
まず思い浮かべるのはフランスの女優ジャンヌ・モロー。
いや,冗談ではなくて本気でそう思うわけで。
若くてして国立のアカデミーを経て舞台女優となり,やがて当時の恋人ルイ・マルの出世作『死刑台の
エレベーター』で脚光を浴び,ヌーベルバーグの流れの中で名声を確立。
老いても自ら監督のメガフォンをとり,無名の新人監督の作品にも台本を評価して出演etc.
はかないけれど理路の通った美しい時間への彼女の愛着と情熱は,人生の袋小路やよどみで迷うときの
ボクの数少ないお手本であり導きのコンパスです。
もちろん,ボクも若い頃はそんな長いスパンでの彼女の魅力はろくに知ることもなく,ただ,彼女独特の
アンニュイな,いかにも「フランスの女優」然とした容貌や立ち振る舞いに憧れていただけでした。
どうすれば,あの静かな情熱とたしかな知性と変化を恐れぬ勇気を持ち続けられて,しかもそれを
フランス映画らしい「ニュアンス」の表現にまで昇華して映像にとどめられるのか?
年をとるにつれ,ボクよりも30才年上のこの女性の価値観や生き方がますます自分にとって大事な
ものに思えてくるのでした。
ボクにとって,真のロールモデルとは,ある夜どこかのバールやレストランで落ち合い,語り合い,その人生の
光も影も春も冬も夏もすみずみまで語り聞かせてもらいたいと思う存在です。
いつか,本当にそんな時間が持てたら素晴らしい。
かつてボクはミラノ郊外でウーゴ・デローザ御大を目の前にして(みずからオフィスの扉を開けてもらって)
まともなことを何も言えなくて,緊張のあまり震えながら握手をしてもらったことがありますが,そんな失敗を
もうしないようにフランス語の力量を磨いてから,ジャンヌに会うんだ(笑)
もちろんボクは映像の虚構の中での彼女しか知りません。
けれど,長い間接していれば,自分の親の人生だって,「かつて子どもだった自分の視点」からだけでなく
「いまや別の人生を生きる別の大人」として,ある程度は内からの真実を見極められるものです。
白人の女性らしく,いまやシワとたるみの塊と化した88才の彼女の姿は,それでもボクには尊いもので
愛おしさを感じます。虚構の映像の中の姿以上に現実の彼女の中に輝きを見ています。
ボクには女性を過剰に美化する悪いクセがあって,それがごくたまにボクの人生をあらぬ方向へ,
コントロールを失った砲丸よろしく失投させてしまう傾向があります。
つたない自己分析では,これって半分くらいは相手の中に自分のロールモデルを見てしまっているから。
つまり,ボクはどこかでいつも「凛とした女性」になりたいと思っているのですね(笑)
そんな自己分析が正しいかどうかはともかく(笑)
できればジャンヌのように生きていきたいものです。
その孤独もよろこびも愛も悲しみもすべてひっくるめて。
もしもある日パリのひとり旅で買い物に入った『ボンマルシェ』でジャンヌに出会ったあら,何と言って声を
かければいいかなあ?(そもそも声をかけないのがパリ風だけど)
ボンソワール,マダム... 長年あなたのファンでした。映画への多大な貢献を尊敬します...
いやいや,ダメだ。
もっと直裁に口説かなければ(笑)
全身全霊でボクはあなたになりたいんです!と伝えなければ。
でも,きっとただ「メルシー,ムッシュー」とだけ微笑みとともに返ってくるのだろうけど,ボクは陶然として
見送るのだろうなあ。
考えてみれば,人生ってそういう一瞬のための長い長いリハーサル。
憎しみや妬みや悔悛ではなく,出会えたよろこびを伝えるために生きていたいなあ。
そう思いません?
そう思います。
その女優さんのことはまったく知りませんが,憧れを持って生きることはすばらしいですよね。
そして,人にすてきなことを伝えるために言葉はあるのですよね。
その女優さんのことはまったく知りませんが,憧れを持って生きることはすばらしいですよね。
そして,人にすてきなことを伝えるために言葉はあるのですよね。
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zuzie
at 2016-07-12 18:47
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コペンハーゲンでばったり出会ったビャルヌ・リースには思い切って話かけましたが、購読しているメルマガの筆者に千葉でばったり出会った時にはほとんど何も話せませんでした。出会えたよろこびを素直に伝えられていたら、と今でも思います。
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ペダル
at 2016-07-13 10:52
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リキさん,ありがとうございます。
いつもボクのぼんやりした話にピンポイントで的確なコメントを下さるのに驚きます。今年こそはリキさんの地元に出むいてご一緒させていただくつもりです。よろしくお願いしますね!
いつもボクのぼんやりした話にピンポイントで的確なコメントを下さるのに驚きます。今年こそはリキさんの地元に出むいてご一緒させていただくつもりです。よろしくお願いしますね!
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ペダル
at 2016-07-13 10:54
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by pedalweb
| 2016-07-11 23:44
| 暮らしの中のあれこれ
|
Comments(4)