夢の匂い〜映画『シェイプ・オブ・ウォーター』
2018年 03月 21日
仕事と雨でなかなか自転車に乗れずにいますが,こんなときの楽しみは何といっても映画を観ること。
*この映画のインテリアの成り立ちについては『ヴァニティフェア』の記事が面白いです(英語です)。
自転車趣味に復帰する前の時期の一番の楽しみは映画を観ることだったのですが,自転車遊びに時間をつかう
ようになってからは鑑賞本数が激減していました。
でも最近は少しずつ意識的に映画館に足を運ぶようにしはじめたのですね。
たぶん,人生も終盤にさしかかって,映画という「人生の可能性の劇場」を通して,自分の来し方行く末を
あれこれ考えたくなった...ということかもしれません。
で,今週になって,これからずっとくりかえし観たくなる映画に出会いました。
ギルレモ・デル・トロ監督の『シェイプ・オブ・ウォーター』です。
去年の秋からまだ5本しか観ていませんが,映画としての楽しさを感じたのはこの作品が一番。
今年のアカデミー賞で,作品賞・監督賞・美術賞・作曲賞を獲得していますが,前評判の良さから
ずっと楽しみにしていました。
そして,期待通り。いや,期待以上の美しい作品でした。
*ちなみに去年の秋以降で,観ているのは,他にマリオン・コティヤール主演の『愛を綴る女』,アニメーションとの
融合がユニークな『ゴッホ 最期の手紙』,デザイナーのインスピレーションの背景を描いた『ドリス・ヴァン・
ノッテン』,クリント・イーストウッド監督の『15時17分 パリ行き』といったところです。
ネタバレにならない範囲でストーリーを説明すると,米ソ冷戦時代のアメリカ国内の軍事研究所で掃除婦をしている
中年の女主人公が研究のためアマゾンから運びこまれた半魚人と恋に落ちる物語。
場面は,毎日毎日平凡で規則正しい暮らしを送っている彼女(イライザ)がなぜか海の底のようになった部屋で眠っている
ところから始まります。
あとから振りかえると,それは孤児でろう者で社会の片隅で暮らす彼女の(水の中にもどってゆく)無意識の夢の世界
だったのかと思えるのですが,観る者をおとぎの世界に誘う心地よい揺らぎに満ちた見事な導入です。
*もちろんイライザという名は『マイフェアレディー』の主人公とつながり,彼女の姓「エスポージト」はイタリアの
南部でよく孤児につけられた姓なので,端緒から彼女が一種のシンデラであることがわかります。
そして水がすうっと引いて現実の彼女の部屋が姿をあらわすと,今度はその部屋が実に繊細で見事な映画美術の結晶だと
わかり,映像が見ているボクらの目を愛撫するのですね。
美術と並んで音楽もこの映画の白眉。
時代背景は冷戦時のものですが,なぜかベルエポックの時代の雰囲気が漂うジャズやスタンダードナンバーを
うまくミックスして,言葉を話せないイライザの心情を美しく表現しています。
このサントラは欲しいなあ。
ただし,あいにくこの素晴らしい映画にもひとつ大きな難点があります。
暴力やセックスのシーンが必要な要素としてあって(R15+),ファミリー向けではないのですね。
公開後のインタビューでデル・トロ監督は,このストーリーの映画化が自分のオタク少年時代からの願いで
あったことを明かしてるので,性と暴力の要素をうすめても良かったのでは?と思えなくはないですが,
よく考えると,それでは彼の夢の世界を表現できなかったのでしょう。
つまり,怪物がまとうおぞましさ・暗さ・哀しさ,イライザの肉体の輝かしさ・性の衝動の大らかさ・恋の
激しさ・運命と死etc.それらがなければ「夢」は夢ではありえません。
ボクらが夢を見るとき,明暗両方の色とりどりで摩訶不思議なありとあらゆるイメージが自由奔放に飛びかうからこそ
その夢は夢ですよね。
もしこの映画がとどけてくれる情感を一枚の絵であらわすなら,ボクは20世紀の境目に登場したウィーン分離派の
絵がふさわしいと感じます。
そんなわけで,子どもには汲みとれない情感の深さや人生のはかなささえたたえた美しい大人のおとぎ話となって
いるので,子どもたちにはもう少しあとで観てもらうしかありません。
でもその一方で,子どもの心を失っていない作家ならではの無邪気な柔らかさが映画にまろやかさを与えています。
たぶんそれは,登場人物たちの設定に託されているように(孤児・ろう者・ゲイの老人・世間からの脱落者・黒人・
ロシア人研究者etc.),政治的なテーゼとしてではなく,デル・トロ監督がメキシコ人で,オタクとして過ごした
少年時代を持つマイノリティーとしての感性や共感に由来するのだろうと思います。
けっして人を属性や特性の檻に閉じ込めないリベラルで柔らかい心がとても心地良いのですね。
ボクがこの映画をくりかえし観たい気持ちになるのは,自分もその弱者の系譜にあずかっていて,イライザの
ように,いつか心から愛する相手と水の中に帰ってゆきたいと願っているからかもしれません。
いま雨粒がつたう窓の外を見ていると,イライザの幸せそうな表情が目に浮かびます。
この映像に出会えたよろこびに心が温かくなるのでした。
by pedalweb
| 2018-03-21 02:41
| 音楽 ,美術,映画,文学,思想
|
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